笠岡・浅口・福山・倉敷市の学習塾。大学受験・高校受験・中学受験対応

お問い合わせはこちらから0865-63-2005

受付時間: 10:00~22:00(月曜~金曜)

お問い合わせはこちらから

メール

呪縛の「9」

古今東西、数字にまつわるエピソードがあると思いますが、今回は

クラシック音楽に関するお話をしたいと思います。

 

『交響曲』の番号は「9番が最後になる」という話です。

それは19世紀後半から20世紀前半に「都市伝説?化」したものだと考えられます。

 

この「都市伝説?」のきっかけは、ベートーヴェン(1770~1827年)が大きくかかわっているように思います。

彼は9つの『交響曲』を作曲しました。その最後の「第9番」が年末などによく演奏される「第九」です。

     

 

ベートーヴェンは死後多くの作曲家たちからリスペクトを受け、次世代のブラームス(1833~1897年)に

おいては「ベートーヴェンの9つの交響曲があるのに今更、交響曲を作曲する必要があるのか?」と

言わしめたほどで、それでも43歳の時「交響曲第1番」を書き、この曲は当時の大指揮者

ハンス=フォン=ビューローが「ついに、(ベートーヴェンの)第10交響曲が現れた」と絶賛したほどの

作品となっています。結局、ブラームスは生涯に4曲の交響曲を残すこととなります。

 

ブラームスのようにドイツ,オーストリアで音楽を学んだ作曲家たちはベートーヴェンの偉大さを

たたきこまれ、伝説化し、神聖なものになっていったのかもしれません。

     

 

ベートーヴェン以後の交響曲作曲家(シンフォニスト)の交響曲の通し番号を紹介します。

 

シューベルト(1797~1828)    ・・・9曲   シューマン(1810~1865)  ・・・4曲

ブルックナー(1824~1896)   ・・・9曲 ブラームス(1833~1897)  ・・・4曲

チャイコフスキー(1840~1893)・・・6曲 ドヴォルザーク(1841~1904) ・・・9曲

シベリウス(1865~1957)    ・・・7曲

 

となり、第10番が与えられた交響曲はないことがうかがえます。

 

そして、この「9番が最後になる」という妄信に一番とりつかれた作曲家こそ

マーラー(1860~1911)ではないかと思います。

      

 

マーラーは私が一番好きなシンフォニストで、交響曲第2番「復活」ですでに合唱付きの交響曲を

作曲しており、交響曲第8番「千人の交響曲」では、楽章という概念はもはや存在してなく、第1部,

第2部に分け、第1部の冒頭から2組の混声合唱が歌いだして曲の進行をつかさどる構成になっていて、

マーラーの最高傑作といってもよい作品だと思います。

 

ゆえに、次の「第9番」を作曲するにあたり、前項までの「9番が最後になる」が頭によぎってきたのではないか

と思うのです。

マーラー自身、この当時 (1907年ごろ) 娘マリアを失い、自らも心臓病の宣告を受け、否応なしに現実の

死と向き合わざるを得なくなっています。

 

それでも、マーラーは交響曲の作曲に取り組み、「シナの笛」という中国の李白や孟浩然といった

さまざまな作者による漢詩をかなり自由に編訳して、ドイツ語訳したものをテクストとして、

オーケストラ伴奏付きの歌曲集ともいうべき全6楽章の交響曲を1908年ごろ完成させます。

 

しかしながら、この楽曲の特異性に加え、「9番が最後になる」という妄信から、第8番の次に

作られたにもかかわらず、番号は与えられず「交響曲〈大地の歌〉」として発表されることと

なったのです。

     

 

その後もマーラーは作曲活動を続けていき、1910年4月1日、「交響曲第9番」を完成させ、

同じく第10番の作曲に取り掛かった途中、1911年5月18日に51歳で世を去ります。

第10番は未完におわり、「交響曲〈大地の歌〉」で9番を回避したにも関わらず、

結局、第9番が最後となってしまったのです。

これこそ「9」の呪縛から逃れられなかった悲劇といってもいいのかもしれません。

ページ上部へ戻る